常軌を軌した無法国家・中国 ―略奪・殺戮を文化とし白を黒と言いくるめるその手口 その六 シナ社会には上も下も徹底した不信が渦巻いておたのだ。 皇帝も不安の日々を送っており、たやすく命をまっとう出来なかったのである。 まして、民衆が命をまっとうする事は、もっと難しかったので、絶えず不安に さらされていたのだ。自分以外に信用する事が出来ない社会になってしまったのである。 中国史では、旧王朝が滅びて新王朝が成立する易姓革命の時には一度に数千万の人口が 消えているのである。 特に阿片戦争後に起こった洪秀全を首謀者とした太平天国の乱は全シナを巻き込んだ ので、その被害は甚大であった。 それまで4億3千万人いたシナの人口は2億6688万人に激減してしまった。 僅か10年間で1億6512万人が命を落とした事になる。凄まじい大事件である。 特に太平天国の首都となった南京では首都陥落の際に全国で数百万人が殺されており 各地で遺体が埋められ、或いは揚子江に投げ捨てられたのである。 日本の歴史では島原の乱、1637年ではんらん参加者2、3万人が幕府の猛攻で全滅に なったのが死者の最大で飢饉による農民運動や一揆、打ち壊し、強訴など、 せいぜい参加者は千人単位である。 それに、最終的には首謀者が数名死刑になるだけですんだ事を考えると シナ人の残酷性は異常である。